ブラックだった旅行会社から提示された破格の昇給

昇格はおろか昇給もほとんど見込めない派遣社員時代は、自分の将来に対して希望が持てず、毎日不安な気持ちを抱えていました。ところが、未経験で始めた通訳案内士の副業で、わずか3ヶ月の間に状況が変わり、外資系旅行会社に正社員として就職することができました。人生どこにチャンスが落ちているか分からないものですね。

 

この旅行会社、給与水準は業界的には高かったのですが、社内の雰囲気は最悪でした。ワンマン社長にへつらう上層部と、彼らに駒のように使われて疲弊する一般社員。昨日まで花形社員扱いされていた人が、突然手のひらを返したように扱われ、辞職に追い込まれるということも珍しくありませんでした。

 

この会社には長居できないなと判断し、すぐに転職活動を開始。転職して半年後には念願の外資コンサルティング会社から内定をもらうことができました。が、意外だったのは給与の低さ。マネージャーなのにボーナスを含めても900万円で、旅行会社とほとんど変わらない状況でした。

 

でも旅行業界にいても将来性がなかったので、上司に辞表を提出しました。すると上司が「コンサル会社からはいくら提示されたんだ?」と聞かれました。中途半端に昇給されて転職の決意が揺らぐのが嫌だったので、「1,200万円です」と答えました。すると今度は「1,200万円出せばうちの会社の残るのか?残ると確約するなら役員に掛け合う」と畳み掛けてきます。

 

いくら何でもいきなり300万円の昇給はしてくれないと思い、「1,200万円払ってくれるならこの転職はやめます」と伝えたところ、なんと翌日付で本当に給与が上がってしまったのです。たかだか300万円でコンサル業界を捨てるなんてことは今だったらしませんが、当時はまだほとんど貯金ができていなかったので、短期的な利益に釣られてしまいました。

派遣社員を辞めたら年収が4倍になった話

通訳案内士で生計を立てて行くことを考え早速職探しを始めたところ、外資系旅行会社の専属ガイドの募集が見つかり、早速応募してみました。電話面接でこれまでの職歴やガイドとしての経験を話すと、ガイドではなくオフィスで内勤をしないかと聞かれました。

 

通訳案内士だとフリーランス業務委託契約)ですが、内勤なら正社員になります。今後のキャリアや転職活動を考えると、30代のいまのうちの正社員になっておくことは大事だったのですが、旅行業界は一般的に給与水準が低いので、内勤になった場合にガイドより大幅に年収が下がらないか心配でした。

 

ガイドであれば月平均70万円、年間で840万円の収入が見込めるから、それ以上の報酬であれば検討すると伝えました。そうしたらすんなりと年俸900万円を提示してくれたのですが、条件として翌週からすぐに働きてほしいと言われました。派遣会社との契約では退職は1ヶ月前に通知することになっていたので、流石に無理だということを伝えつつも、派遣会社と交渉して、なんとか2週間で退職させてもらえることになりました。

 

投資銀行を辞めてから約10年間没落してきた自分の人生が、ここでやっと上昇気流に乗り、年収も250万円から一気に4倍近く上がることになります。

4週間で112万円稼げたガイドの仕事

通訳案内士デビューした翌週に舞い込んできた報酬56万円の2週間周遊ツアー。月給20万円で働いていた自分は報酬に目が眩み、コールセンターを休んで引き受けました。

 

2週間のツアーは、東京から始まり、日光、鎌倉、京都、奈良、大阪、広島と典型的な観光地を周っていきます。最初の3都市以外はガイドとして案内したことはなかったので今考えると無謀で、実際ツアー中は苦労しました。毎晩ホテルにチェックインしたら翌日の観光地の調査をして最低限の台本を用意して、でも当然そんなやっつけ仕事ではネタがすぐに尽きるので、あとは世間話で誤魔化すということの繰り返しでした。

 

でもどうにか大きなトラブルなくツアーを終わらせることができ、心地よい疲労と充実感に包まれながら、またコールセンターでの日常が始まりました。広島から帰ってきた4、5日後に旅行会社から電話がかかってきました。クレームでも出たのだろうかと思って恐る恐る電話に出ると、「前回と同じツアーをもう1本お願いできませんか」という相談でした。

 

流石に2週間の休みを取ったばなりなので、続けては難しいかなと思いつつコールセンターのスーパーバイザーに相談すると、意外にも休んでも問題ないということになりました。2回目のツアーは1回目よりはスムーズに進み、またもや56万円を稼ぎました。

 

新米で片手間にやってるガイドでも月に(他のツアーも含めて)60万円以上稼いでいるとしたら、ベテランのフルタイムガイドは当然もっと稼いでるはず。コールセンターを辞めて通訳案内士で生計を立てていくことを考え始めました。

通訳案内士デビューと思いがけないオファー

ツアーの試乗をさせてもらった翌日、通訳案内士としてデビューしました。行き先は富士山と箱根芦ノ湖。出発まではすごく緊張していたんですが、始まったら良い意味でバタバタして緊張を忘れることができました。

 

この日の日当は20,000円。朝8時に集合して夜8時解散ですから、時給換算したらコールセンター以下だったんですが、閉塞感漂うコールセンターで1日中座って仕事するより、開放的な屋外で体を動かしながら仕事をする方が楽しかったです。

 

ちょうど4月の繁忙期だったこともあって、この旅行会社からは翌日以降も仕事の紹介がありました。コールセンターのシフトが休みの日しか引き受けられませんでしたが、夜勤の日には午前中だけのツアーを引き受けたりと、可能な限り断らないようにしていました。

 

「ガイシパパさんはお願いすれば稼働してくれるから使いやすい」と思われたんでしょう。なんと5月に入ると2週間の国内周遊ツアーの仕事を打診されました。周遊ツアーになると日当が一気に上がって1日4万円になります。2週間のツアーに出れば56万円なので、コールセンターの月給の3倍位近く稼げることになります。

 

食費する切り詰めたギリギリの生活をしていた自分にとっては魅力的な報酬だったので、有給休暇を使ってコールセンターを休むことにしました。電話があまりかかってこないゆるい職場だったので、会社には特に何も言われませんでした。

急に舞い込んできた通訳案内士の仕事

生きていくのにやっとだったコールセンター派遣社員時代。それを変えたのは1本の電話でした。

電話の相手は某旅行会社の通訳案内士アサイン担当でした。通訳案内士の国家試験に合格した後、自分を売り込もうと業界団体の研修に参加して、その時に名刺交換していたのがこの方でした。なんでも東日本大震災でリバウンドで一気に訪日客が戻ってきていて、通訳案内士が足りないとのことでした。

「急で申し訳ないが明後日富士・箱根1日ツアーのガイドをしてもらえないか?」と聞かれました。翌々日はちょうどコールセンターの仕事はなかったのですが、資格を取得してから1度も実地経験のないペーパーガイドだったので、断ろうか一瞬迷いました。でも周りを見渡し、惰性で働いているオペレーターを見たら、「自分はこんなところで終わりたくない」と思い、すぐに「はい」と返答しました。

「ガイシパパさんは富士・箱根ツアーの経験ありますよね?」と確認するアサイン担当。「数回あります(客としてね)」と自信満々に答えながらドキドキしたのを覚えています。幸いツアー前に試乗させてくれる会社だったので、翌日別のガイドが担当する同じツアーに参加して、ツアーの流れを確認させてもらいました。

食事が買えない時もあった極貧時代

コールセンター派遣社員時代は自分のキャリアの中では黒歴史でした。手取り20万円しかなかった給与から家賃と生活費を引くと残り10万円。そこから毎月8万円のクレジットカードのリボ払いの返済をすると、手元に残るお金は2万円しかありませんでした。

 

当然交際費なんてものはなく、友達と会うこともできるだけ避けて生活していました。スーパーに行っても割引シールが貼ってあるもの以外は買ったことがありませんし、お昼は勿論弁当。十分なお金がなくて、会社の無料のお茶で飢えを凌いだ時もありましたね。

 

コールセンターは24時間稼働だったのでやきんもありましたが、夜仮眠室で休んでいると、「自分の人生このまま終わってしまうのかな」と悲観的になって、自然に涙がこぼれてきたことが何度もありました。

 

幸か不幸か、そこはほとんど電話がかかってこないという特殊なコールセンターでした。居眠りをしながら無駄に時間を過ごすオペレーターもいれば、国家公務員を目指して勉強しているオペレーターもいました。旅行と英語が趣味の自分は、訪日外国人観光客に外国語で日本を案内する通訳案内士の仕事には以前から興味があったので、電話対応していない時は常に試験勉強をしていました。

 

試験には翌年受かったものの、東日本大震災に影響でまだまだ訪日旅行客が少なく、仕事をする機会がありませんでした。コールセンターで働き続けるという人生も覚悟し始めたある日、見知らぬ番号から電話がかかってきました。

6分の1に減った年収

外資系企業で働いているというと「給料いいでしょ?」とよく聞かれますが、時代や業界、職種や役職によって大きな幅があると思います。例えば自分が新卒で働いた投資銀行の場合、平社員のインベストメントバンカーの基本給が750万円+ボーナス750万円で、合計1,500万円でした。

一見高い給与に見えますが、週70〜80時間働くのが当時は当たり前の業界でしたし、犠牲にするのものが多い仕事だったので、特段給与が高いとは思いませんでした。自分も数年でお金よりも自分の時間がほしくなり退職しました。

その後現実逃避で趣味の旅行関係の仕事がしたく日系旅行会社に契約社員として勤めましたが、その時の年収は300万円。バンカー時代の5分の1になりましたが、好きなことができていたので悲壮感はなかったです。

ただ旅行業界は斜陽産業だということに気付き、より成長が見込めるそうなコンサル業界に転職しようと転職活動を始めました。が、当時はリーマンショックもあり景気があまりよくなく、コンサル業界が採用を控えていたので、未経験且つ旅行業界に「キャリアダウン」したと見られていた自分は、面接の箸にも棒にも引っかかりませんでした。

そうこうしているうちに東日本大震災が起こり、回復しつつあった景気がまた悪化。契約社員の仕事も失いました。幸い、近所のコールセンターで派遣の仕事を見つけましたが、年収は更に下がって250万円。投資銀行時代が自分のキャリアのピークだったのかと悲観したのを覚えています。